2020年3月14日土曜日

平塚の名前の由来

 本日は、平塚という地名の由来を調べてみましょう。

 平塚博物館発行の「知らなかった!?平塚の魅力再発見!!」の中の記事を紹介いたします。

いつごろから平塚?

 初めて「平塚」という言葉が登場するのは「吾妻鏡」です。建久三年八月九日、源頼朝が、妻政子の安産祈祷を行わせた社寺が「範隆寺 平塚」であり、神馬を奉納したのが「黒部宮 平塚」と記載されています。
つまり、鎌倉時代では「平塚」という言葉は存在したことが解ります。
 しかし、このことはあくまで「平塚」という言葉が存在していたことが確認できるだけで地名の由来が解ったわけではありません。次は地名の由来の諸説を紹介します。

平塚の塚の由来

 これは江戸時代から言い伝えられた話です。
桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子が、東国へ向かう旅をした折、天安元年(857年)
二月この地で逝去しました。そのひつぎをこの場所に埋め墓として塚を築きました。この塚の上が平らになっていたので「平塚」という地名が起こったというものです。
 この言い伝えは幕府が編さんした「新編相模国風土記稿」の検証において「比事土人の口碑に伝ふるのみ、末考る所なし」としており、村人の伝聞であり事実として確認できないとしているのです。
 では、この話は全くの作り話なのでしょうか?事実の白黒を断定するのは難しいそうです。ひらつかのつい平塚の地名の由来はこれだと書かれた明確な資料がないからです。
 「新編相模国風土記稿」に記載があるのですから、村人の言い伝えは存在した事実はありそうですし・・・。つまり「謎」とするしかないのでしょう。

ひらつかはアイヌ語?

 これも事実の確認も根拠も不明ですが、「平塚小誌」によれば、先史時代の平塚にはアイヌに似た人々がいて「シラスカ」と呼んでいたのではないかとしています。
 アイヌ語を語源としている地名は全国にもあり、北海道には白糠町(シロヌカ)という地名があります。由来のひとつは、アイヌ語のシラリ(磯)、カ(上)やシラルカ、シラリイカで、波が磯を越えしぶきが立つ「岩磯のほとり」という意味だそうです。
 シラリ・ル(磯)の語尾変化でシラッ??ふもとの上を意味するのがス・カ??「謎」は深まるばかりです。

訛ってひらつか?!

 「スカ」が訛って「ツカ」?!これはどういうことでしょう?
須賀(スカ)という意味に注目してみます。「地名用語源辞典」(東京出版)によると、スカとは海に沿った高地、砂丘、砂地などという意味があるそうです。たしかに確かに平塚の須賀は海に沿った砂地ですし、県内の地名にも須賀が付く場所は海に沿った高地にあります。関東圏でも須賀のつく場所は同様であり、海のない県においても周辺は川等が存在しています。平塚の地形を考えると当てはまると思います。
 それでは、平(ヒラ)は?という疑問が生じます。同辞典によると平は傾斜地を示すとあります。ヒラ+スカ=傾斜のある砂地となります。
 やはり平塚の地形に当てはまります。

結論?

 平塚の地名の由来について諸説あることを紹介しました。では、どれが正しいのでしょうか?言い伝えによるもの、言葉によるもの、地形的特徴によるもの、ここに紹介されていないものもあるかもしれません。
 しかし、結論は「謎」とするしかないというのが現状であると言わざるを得ません。
 ただ、ひとつ確かなことが言えます。それは、平塚のことを愛している人が大勢いるということです。平塚の地名の由来nい惹かれ、様々な視点から研究をしたり、または語り継いだり、そして関心を持っている人が大勢います。これからも愛される街平塚は変わらないことでしょう。

~アンノーンひらつか~ガイドブック 知らなかった!?平塚の魅力再発見!!より引用


平塚の塚は、東海道平塚宿の西端、現在の平塚四丁目にある要法寺のとなりの「平塚の塚緑地」にあるそうです。
 
皆さん、一度訪れてみてはどうでしょうか。自分の住む町のルーツを探ることによりいろいろなことが解りましたね。

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